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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)9388号 判決

原告 神木カツ

右訴訟代理人弁護士 柴義和

被告 神木源蔵

右訴訟代理人弁護士 有賀岩己

丹羽鉱治

主文

被告は原告に対し別紙物件目録記載の物件につき東京法務局文京出張所昭和三八年八月六日受付第一一七七二号をもつてなされた昭和二九年六月六日付贈与契約にもとずく所有権移転仮登記の本登記手続をなすべし。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、請求の原因および抗弁に対する答弁として次のとおり述べた。

一、原告は被告と昭和二三年四月一〇日から同棲生活に入り、昭和二五年五月一日に婚姻をし現在にいたつているが、昭和二九年六月六日、被告は原告に対し被告の所有に属した別紙物件目録記載の土地及び建物(以下本件不動産という)を原告に譲渡する旨の書面による贈与の意思表示をし、原告はこれを受諾し、右不動産の所有権を取得した。

二、しかるに、婚姻以来、被告は時々原告に対し殴打したりして粗暴の振舞があつたが、昭和三〇年ごろ被告の娘である訴外神木美恵が原、被告宅に出入りするようになつてからは、被告は原告に対して従来にまして特にはげしく暴行を加える等虐待を重ね、夫婦相互の信頼、愛情を欠くたんに名目上の夫婦たるに過ぎないようになり、実質的には破綻状態となつたものであり、原告は昭和三七年ごろには虐待に耐えられず、離婚の決意を固め、東京家庭裁判所に離婚調停の申立をした。

三、原告は昭和三八年八月二日、前記所有権取得を理由とし東京地方裁判所の仮登記仮処分決定により東京法務局文京出張所受付第一一七七二号をもつて右贈与契約にもとずく所有権移転の仮登記をした。

よつてここに被告に対し、右仮登記にもとずく本登記手続を求める。

四、被告の抗弁事実は否認する。仮りに取消の意思表示があつたとしてもすでに夫婦間の関係が破綻状態にあるさいにおいては右取消はできないものである。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁及び抗弁として次のように述べた。

一  原告主張の事実中、原告と被告とが婚姻中であること、被告が原告に対し本件不動産を贈与したこと、原告主張の仮登記仮処分決定および所有権移転登記のなされたことは認める。夫婦関係が破綻状態にあることは否認する。離婚調停申立は知らない。

二  被告は昭和三四年三月末日、自動車事故により負傷し入院治療を受けたが、右事故による自動車損害賠償保障法の保険金一〇万円が同年一二月初め払い渡されたに際して、原告は右金一〇万円中金五万円を右入院治療費を負担した訴外神木美恵に渡したのみで残金五万円を手中に収めてしまつた。そこで被告は、同年一二月八日、原、被告宅において、右神木美恵立会の下に原告に対し、夫婦間の契約の取消としてさきにした本件不動産の贈与契約を取り消す旨の意思表示をした。証拠≪省略≫

理由

原告と被告とが昭和二五年五月一日以降婚姻中であること、本件不動産は昭和二九年六月六日原告が被告から贈与を受けたものであることは当事者間に争いがない。

よつて被告の主張の贈与契約取消の存否について判断する。

この点につき証人神木美恵の証言および被告本人尋問の結果(第一回)によれば、昭和三四年一二月八日ごろ、原、被告宅において原告、被告および被告の娘神木美恵の三人がいるところで、そのころ被告に対して支払われた自動車損害賠償保障法による保険金一〇万円につき原告が内金五万円を被告入院中の派出婦料として天引し、残金五万円を前記美恵に交付したことに関し、被告が原告の非情をなじり、「そんな女ならもう何もやらない。やつたものはみんなこちらに返せ。」と原告にいつたというのであつて、右事実によれば被告はこれによつて贈与の取消の意思表示をしたもののように見えないことはない。しかし、≪証拠省略≫および原、被告各本人尋問の結果に本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば、次のように認めることができる。すなわち、原告は永く派出看護婦をしており、中年にして被告の後妻となつたものであるが、被告は酒ぐせが悪く酔つて帰宅して原告を殴打したりする等の行為が時々あり、一方、原告も食事の仕度等について多少家庭的な配意に欠ける点があつた等のことから夫婦仲は必らずしも円満ではなかつたが、それでも当時被告は娘や妹とも疎遠であつた関係上、原告を頼りにし、両者の間は特に不仲というわけではなく、原告も随時内職や派出看護婦として収入を得て家計を助けており、その間夫婦の住居である本件不動産を購入して被告の名義にし、購入代金として他から借り入れた借金は被告の給料からなしくずしに支払つた。本件不動産については、当初から夫婦の間で原告の将来の安心のためこれを原告のものにするとの話合があつたが、昭和二九年六月にいたつて前記のようにこれを被告から原告に贈与し、被告はその旨書面(甲第二号証)を認め、権利証(甲第一号証)とともに原告に交付したが、当時は登記料にも事欠く状態であつたため、移転登記はされなかつた。その後、昭和三一年ごろ本件不動産中家屋を二〇数万円をかけて補修し、内二間は間貸しをして建築費を支払つた後はこれも家計の補助にしていた。

その間被告は昭和三〇年ごろ娘美恵との間に折れ合いがつき、再び往来をはじめるようになつてから、娘の手前では特に強気に振舞うようになつた。昭和三四年三月末、被告は自動車事故で約一ヵ月入院し、その間の入院治療費等は娘美恵が立て替えていたが、原告は自らこれに附添つて看護し、退院後も相当期間被告は働けなかつたため、その生活費の捻出には原告も苦慮した。同年一二月はじめにいたつて前記のように保険料一〇万円が支払われたので、原告は美恵の立替分として五万円を同人に支払い、残額五万円を留保したが、これは夫婦の生活費、他からの借金の返済等にあてたものであり、故なく自己の取得としたものではない。そのさい原告の説明の不足と娘の手前とから原告の右の措置を被告が怒つて前記のような発言となつたものであるが、その後も被告は原告から前記譲渡証を取り返すでもなく、原告が自己の名義で家屋に火災保険をつけたり、自ら貸主となつて本件不動産中の部屋を他人に賃貸するのを知りながらなんらとがめるところがなく、自分でも原告名義の敷金領収証を書いており、その後も従来と同様の夫婦関係のまま昭和三八年にいたつたものである。かように認めることができ、右認定に反する証拠は採用しない。以上の事実によつて考えればもともと本件不動産は原、被告相協力して得たものともいうべきものであり、とくに中年にして被告の後妻となつた原告の将来の安心のため原告の所有に移した財産であり、原、被告はその婚姻中ひとしくこれが使用収益によつて利益を得ていたものであつて、前記の機会になされた被告の発言は、一時の興奮からなされた感情的な放言にすぎず、これによつて夫婦の従来の財産関係を一変し、原告をして無一物のまま被告に奉仕せしめることとなるような結果を将来するものとしてなされたものではなく、ひつきよう未だこれをもつて贈与契約取消の意思表示をしたものと認めるには十分でない。その他に右取消を認めるべき的確な証拠はない。

しからば本件不動産は依然原告の所有というべく、原告がその主張の仮登記仮処分命令を得て所有権移転の仮登記をしたことは当事者間に争なく、被告は右仮登記にもとずく本登記をなすべき義務があるものというべきである(もつとも、原告本人尋問の結果によれば、その後原告は昭和三八年四月被告の虐待を理由として被告方を出て、肩書地で派出看護婦をしつつ離婚の調停を求めていることが明らかであり、もともと夫婦関係の円満な存続を求めてなされた本件不動産贈与の趣旨と実質上矛盾する事態を生じていることはこれを否定し得ないが、この点は、もし原被告が離婚することとなつた場合、財産分与その他の面で適当に解決されれば足り、現在における本件不動産所有権の所在、それにもとずく権利の行使に消長を来たすものではない)。

よつて原告の本訴請求を理由あるものとして認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浅沼武)

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